今日から2月。毎月一日の朝は弊社事務所と
作業場の神棚のお供え物を一新します。
そして、事務所から徒歩2分の八幡神社へ
参拝し、先月までの感謝と今月の健康や
開運を祈願いたします。
思えば、私の両親は毎月一日には二人で
県内外の神社に参拝に行くために
休んでおりました。
私も早くそんな身分になりたいものです。
さて、そんな中、昨日は新田原基地周辺
防音工事における、新規のお申し込みを
新しいお客様からいただきました。
ありがとうございました。
新築を建てたのは、弊社では
ありませんが、以前にお会いした
私のことを覚えていてくれていた
みたいです。
家を建てた工務店に頼まずに、わざわざ
頼んでもらえたので私もその思いを
期待を裏切らないように頑張っていく
所存です。
さて、話は変わりますが、最近読んだ本で
感銘を受けた描写がありました。
それは、「 粋(な人)とは? 」という場面でした。
その本の中で一例を挙げられたのは、
人が面目ない失敗やどうする事も出来ない
状況の時に、その人に恥をかかせない
お膳立てがさりげなく出来る人だ
ということです。
たとえばお酒を飲めない人が目上の人から
お酒を進められて断るに断れない状況において、
その人も目上の人も恥をかかないように
お酒から注目を逸らせる、みたいな事が
さらりとできる人のことです。
その物語では、それは見事に目上の人にも
悪い気持ちにならないようにその場の方向転換を
導いてくれたのが印象的で、私もこんな事が
出来る人間になりたいと思った次第です。
こんな「粋という文化」も日本ならではの文化だと
私は思っています。諸外国では良い意味的にも
悪い意味的にも「自分本位・自分中心」の文化を
よく見聞きします。多くの外国においては
「謙虚」であるとか「控えめ」であるというのは
評価されないのです。他人からは(全てにおいて)
アピールしないあなたが悪い!が常識となっているのです。
最近はテレビで時代劇が少なくなってきましたが、
特に昭和の時代劇においては「粋な江戸っ子」と
いう訳ではありませんが、機転を利かせて
困っている人のピンチを救ってあげるシーンを
よく見てきた覚えがあります。最近ではそんな
お手本(時代劇など)を見る機会が少なく
なったのかもしれませんね。
ただ一つだけいえることは、文化とはそう簡単には
定着しないということだと思います。
先人からのコツコツした行動と精神の積み重ねが、
その土地の文化を築いていくのだと感じております。
私も「粋なひと」と周りから言われるように、
日々精進しながら毎日を過ごしていきたいと感じた本でした。