少し前に、このブログにおいて、
私が心に残った、良い話をご紹介した
ところ、一部の読者の方から、
「心にグッとくる、良いお話しでした。」
という声を聴きましたので、今回はまた、
私のパソコンのデスクトップにずっと
保存しているお話をご紹介します。
(↓ここからです↓)
メアリーの物語
~本当の自由を手に入れるということ~
約20年前のこと、私の人生において、最大級の衝撃を覚える事件が起きました。
家の電話が鳴ったのは午前3時。イヤイヤ受話器を取ると、長男の声が聞こえて来ました。
「母さんどうしよう!ロビーが死んじまった!」
18歳の末っ子が銃で撃たれたと言うのです。
目の前が真っ暗に成りました。
ロビーが死んだですって?
やり場のない、打ちのめされた感覚。
絶望。心臓は早鐘のように打ち続けました。
その後、息子を殺した若者ショーンは殺人罪で捕まりました。
ロビーとは顔見知りで、口論に成って撃ってしまったと言う事です。
審問会が開かれるまでの3ヶ月間は、私はショーンに会う事も話すことも許されませんでした。
それは正しい処置だったと思います。
若し彼に会っていたら、怒りに突き動かされて何をしたか分かりません。
若しかしたら、思わず相手の首を絞めていたかも知れません。
ようやくやって来た審問会の日、私は初めてショーンを目にしました。
彼を一目見たとたん、私の体を煮えたぎるような怒りが駆け抜けました。
「なぜあんなことをしたの!」
評決はその場で下り、予想通り20年から50年の刑が言い渡されました。
審問会が終わると、判事は「ショーンに会わせるので部屋に来るように」
と言いました。
職員の後ろを付いて判事室への廊下を歩く時、心臓の鼓動が1歩ごとに早く
成るのが分かるのです。
ようやく息子の命を奪った人間に会うのだ。
ずっとこの時を待っていたのだ、私の気持ちをぶつける時を。
あの男にどんな罵詈雑言を浴びせてやろうか。
怒りと憎しみで一杯で、私はそれしか考えられませんでした。
ボディーチェックを受け、小さなガラス張りのオフィスへ通された時に
見たものは、部屋の隅に立っているショーンでした。
それはオレンジ色の囚人服を着て、手足を縛られ、頭をうなだれたまま
体を震わせて泣きじゃくっている20歳の男の子でした。
彼は一人のさびしい青年でした。
親も友達も、支えてくれる人も居ない独りぼっちの男の子、
どこかに居る別の母親の息子なんです。
私は職員に、ショーンに近づいていいかと尋ねました。
ショーンはそれを聞くと目を上げて、涙に濡れた幼さの残る顔を
こちらに向けました。
「ショーン、そばに行ってもいい?」
ショーンがうなずいたので、私は職員に促されショーンのそばまで進みました。
次に私の取った行動に、私自身も含めてその場にいた全員が驚いたのです。
私はショーンの身体に両腕を回し、彼を抱きしめました。
ショーンは私の肩に顔をうずめて来ました。
誰かに抱きしめて貰う事など初めてだったのかも知れません。
私の怒りと憎しみは、この瞬間にスーッと離れて行きました。
「ねえ、ショーン、あなたを許すわ」
ショーンは驚いたような顔を上げ、私の目を見つめました。
「ロビーが天国では無く刑務所に行くのだったら、
私はもっと辛かったと思うの。あなたのために毎日祈っているわ」
私はショーンに手紙を書いて欲しいと頼み、職員につき添われて部屋を出ました。
どんな評決が下ろうと、もう私の息子ロビーは帰って来ないのです。
ただ、もう一人の青年の人生が、刑によって奪い取られるだけなのです。
私の行為を理解出来ないと言う人も居ます。
しかし、私は決してショーンの罪を見逃した訳ではありません。
「許す」とはそう言う事では無いと思うのです。
あの時彼を許したことで、私は心の奥に渦巻いていた憎しみと復讐心から
逃れる事が出来ました。
自由になり、心の平安を取り戻し、生きる力を得て、ロビーの死を受け入れる
ことさえ出来るように成ったのです。
憎しみはどこかで断ち切らなければ新たな憎しみを生むだけでしょう。
私の憎しみは、私で終わりにするのが一番だと、そう思うのです。
■ 「脳にいいことだけをやりなさい」三笠書房 マーシー・シャイモフ著 茂木健一郎訳
(↑ここまで↑)
人は、物事の見方一つで、こんなにも
自分自身の感情のとらえ方が変わるものだなぁと
この文章を読むたびに思ってしまいます。
コップに半分入っている水を見たときに、
「(コップの水が)あと半分も残っている」
と思ってみる人と、
「もうあと半分しか残っていない」
と思ってみる人とでは、どちらが幸せな
人生を送れるのでしょうか?
私は、後者の見方をするような人間に
なりたいと、いつも思っているのでした。