今日3月11日は
東日本大震災からちょうど10年
当時、岩手県一関市で被災した一人として
毎年、このブログの場をおかりして
お伝えしております。
震災時の画像が出てきます。
見るに堪えない方はご遠慮くださいませ。
宮城県石巻市の震災前後
岩手県大槌町の震災前後
岩手県南三陸町の震災前後
宮城県名取市閖上(ゆりあげ)の震災前後
地震の規模を示すマグネチュード9.0は
阪神大震災の1400倍。
日本周辺の観測史上最大の大地震により
最大遡上40.1mにも上る大津波が発生しました。
死者は1万5899人
行方不明者は2529人
震災後の避難生活による
体調不良、自殺などによる
震災関連死は3739人
ご冥福をお祈りいたします
震災直後の避難者は約47万人
建物の全壊が12万1992戸
半壊が28万2920戸
停電世帯は800万戸以上
断水世帯は180万戸以上
首都圏では帰宅困難者が約515万人
そして今なお
避難を余儀なくされておられる方が
4万1241人
震災時の福島原発事故により
帰還困難区域となり
故郷を奪われた人たちが
およそ6万7000人
帰るに帰れない地権者の足元を見て
当時一坪あたり2万円だった土地を
国は一坪あたり8000円で
買いたたいているそうです。
国は買い取った土地を中間処理場として
汚染廃棄物の入った真っ黒な
フレコンバッグを積み上げているけど
最終処分場はまだ決まってもいません。
処理水は海にバラまいて
希釈するのだそうです。
当然の反対にあって実現しておりません。
放射線量が3.8マイクロの地域は
避難指示が解除され
3年後からは農業もできない土地に
固定資産税がかかるそうです。
3.8マイクロが安全とも思えませんが。。。
保険料や医療費の免除は
今年の7月で期限が切れます。
被災者の支援は打ち切りになっても
原子力災害伝承館には
53億円もかけるんですね。
あの日、あの時
皆さまは
どこで、何を
されていましたでしょうか?
私は当時、
岩手県一関市で
現場代理人として
牧場の建設現場で働いておりました。
倉庫でかがんだ瞬間に
揺れを感じ、一瞬立ち眩みかと思いましたが
その後すぐに地震だと分かりました。
鉄骨の建物が音を鳴らして揺れ
目の前のコンクリートの地面が割れ
身体が振られ、立っていられない地震が
長い時間続きました。
現場を一周し被害状況を確認すると
すぐさまリース屋さんに走り
一番大きな発電機をあるだけ借りました
電気も使えない
水も出ない状況でしたので
川からの揚程ポンプと
濾過処理施設、圧送ポンプを動かす為です
建設中の牧場には生まれたばかりの仔牛も
たくさんいました。
震災直後に降ってきた雪も
夜が更けていくとさらに強く降り積もってきました。
発電機のお陰により
TVのニュースを見る事が出来ました
気仙沼の町が燃えていました
車でおよそ20分の隣街
同僚の中には気仙沼や陸前高田の人もいました
家を失なった人
家族を失った人
恋人を失った人
残された人に掛ける言葉さえ見つかりませんでした
近い将来、
発生する恐れがある
南海トラフ地震は
最大でマグニチュード9クラス、
津波の高さは最大30メートルを超す
と想定されているそうです。
政府が公表した最新の試算では、
最悪のケースで死者23万1千人、
建物や資産の直接被害額は
171兆6千億円に上ると見込まれています
東日本大震災の直接的な被害額はおよそ25兆円
世界銀行は自然災害よる経済損失額としては
史上1位としています
南海トラフ地震は
東日本大震災の被害総額の
6倍に達すると言われております。
もしもの為の
防災対策に備えましょう
気分を害された方に
お詫び申し上げます。